Elon Musk イーロン・マスク

Elon Musk イーロン・マスク

私が今、最も興味ある人物がイーロン・マスク。基本情報を紹介します。イーロン・リーヴ・マスク(Elon Reeve Musk)1971年6月28日生まれ、南アフリカの記事でも触れましたが、南アフリカ共和国出身の実業家・エンジニアとされています。電子決済企業PayPal(PayPal Holdings Inc.)共同設立者でもあり、宇宙開発企業スペースX創設者・CEO、電気自動車企業テスラ(Tesla Inc.)共同創設者・CEO、人工知能研究非営利団体OpenAI設立者、BMI企業ニューラリンク共同設立者・CEO、Twitter(Twitter, Inc.)完全所有者・CEOです。一言でいえば実業家ですが、その枠に収まりません。

1995年、弟のキンバル・マスク共にソフトウェア会社Zip2を創設した後、1999年にコンピューター大手コンパックに売却。その資金を元にイーロン・マスクが創設したX.com社とピーター・ティールが率いたコンフィニティ社との合併で新たな決済サービスを作り出したほか、電気自動車、宇宙開発、太陽光発電などのビジネスで成功を収め、当時没落していたそれらの業界を再興させた。Facebook初期投資家でもあるピーター・ティールやYouTube創業者のチャド・ハーリーなどと共にペイパルマフィアの一人としても語られることがあります。

フォーブスの長者番付によると2021年時点で3020億ドルの資産を有す、世界で初めて資産が3000億ドルを超えた人物。2022年推定保有資産は2190億ドル、当時の価値で約27兆円。世界長者番付第1位の人物で記者会見でダンスを踊る、子どものネーミングがパスワード風、株価を大麻になぞってツイートなど数々の面白いネタの宝庫です。2008年公開のマーベル映画「アイアンマン」の主役トニー・スタークのモデルとなった事でも知られ、アイアンマン2には実際に出演しています。

イーロンマスクの弟が起業したテスラの子会社ソーラーシティの会長を務めているほか、スペースXの子会社であるトンネル採掘および超音速移動システムハイパーループ開発会社ザ・ボーリング・カンパニー(TBC)のCEOでもあり、ラスベガスの渋滞緩和や香水の販売も行い、テスラではテスラホイッスルなる笛を限定的に販売していますwww

イギリス人とアメリカ人(ペンシルベニアダッチやミネソタ州出身の白人)をルーツに持つ南アフリカ人の技術者・実業家の父親エロール・マスク(Errol Musk)と、モデル・栄養士の母親メイとの間に南アフリカで生まれました。当時の南アフリカでは、アパルトヘイト(人種隔離政策)を推進する政府のプロパガンダが氾濫しており、マスクが暮らしたのは経済の中心地ヨハネスブルク、首都プレトリア、東部の沿岸都市ダーバンであり、彼が暮らした郊外のコミュニティは、虚報(フェイクニュース)にほぼ埋め尽くされていた。新聞は全面が黒く塗りつぶされた状態で玄関口に届くこともしばしばで、夜のニュース番組は最後に国歌と国旗がはためく映像が流れ、政府のために戦って亡くなった白人の若者の名前がスクロール表示された。

政府によるプロパガンダが氾濫するなかで白人の立場で育ったマスクにはトラウマになった過去があるとマスクの父親は語っており、マスクが求める言論の自由にはその過去の体験の影響があるとしている。

幼少期からものづくりに興味を持ち、ロケットを使った実験を繰り返していた。父親曰く「内向的で思慮深かった」 といい、集団の中に溶け込むよりも一人本を読むことを好み、記憶力が高く、読破した百科事典の内容を完全に記憶していたといいます。1日に2冊の本を読み、ファンタジー小説やSF小説を多読していた事が「世界を救う」という夢につながっているかもしれないと語っています。

9歳の時に両親が離婚、マスクは弟のキンバルと共に父親のもとに身を寄せ、10歳のときにコンピュータを買い、プログラミングを独学した。12歳のときには最初の商業ソフトウェアであるBlasterを販売する。自作の対戦ゲームソフトを売り500ドルを手にしました。学生時代はいじめに遇い、階段から落とされたり、気絶するまで殴られた過去があるそうです。父親は厳しく学校でも居場所がなかったことから、ひとりの世界にこもっていた世界の天才です。